1957年、カロッツェリア・ヴィニャーレのイタリア在住の顧客のために考案されたシトロエン。この特別なシトロエンDS19はヘッドライトやボンネット上のエアスクープなど興味深い点がいくつかある。こうした変更を加えることで、フェンダーやボンネットのラインをより低く抑えることに成功している。2トーンの塗り訳は957/1959年の特徴でもある。
フィアット1200スパイダーOSIのモックアップを見つめるミケロッティ。このミケロッティがデザインしてOsiが製造したスパイダーは1960年代のイタリアでけっこうな成功を収めた。クーペバージョンも作られた。
イタリアではこうした木型のことを"マスケローネ"と呼んでいる。スティールのパネルをこれにあてがい、ハンマーを使ってボディの形状を作り出してゆく。
1950年代終盤のワンショット。
ミケロッティが手がけたのは自動車だけではなかった。手前のボートのモデルはミケロッティがデザインしたものである。
ナルディ"シルバー・レイ"の傍らに立つエンリ・コナルディ(左)をジョヴァンニ・ミケロッティ。プリマス4500のエンジンを使って1963年にミケロッティの工房で作られた。ステアリングホイールで有名なナルディはかつて自動車のコンストラクターでもあったのだ。シルバー・レイはナルディ最後期の1台である。
日野自動車の技術部長、藤沢と。
日野コンテッサ900スプリントのためにミケロッティが手がけたオリジナル・デザイン。プロトタイプは1962年のトリノ・ショーで発表された。プロトタイプ用のエンジンはナルディによってボア拡大とチューニングが施され、983ccから45PS/5500r.p.m.を発揮した。コンテッサ・スプリントは日本のメーカー用にミケロッティが手がけた2つめのものだった。ひとつはミケロッティがデザインしてアレマーノがボディを架装したプリンスのスカイライン。スポーツだった。
1961年春。日野コンテッサ1300クーペのスケールモデルとミケロッティ。ナンバープレートには"Torino-Tokyo"と記されている。
1966年のトリノ・ショーにうける日野のスタンド。クーペ、セダンともにミケロッティが手がけたプロジェクトである。
これは特別な1台だ。ジャガーDタイプ・レーシングカーのシャーシを使ってミケロッティの工房で作られた車で、1962年のジュネーヴ・ショーで発表された。ミケロッティは1959年から自身で製作工房を持つようになった。このクルマはフランスのさる個人のもとで現存している。ジャガーDタイプのオリジナル・シャーシ。この固体はミケロッティによって公道用クーペ・ボディが仮装された。
1957年のロンドン・モーターショー。ミケロッティがリスタイリングを手がけたメドーの"フリスキー"。トリノのカロッツェリア、ヴィニャーレが製作した。全長2.90m。エンジンは2ストロークの249cc単気筒15PS。
トライアンフのデザインを手がけた後、ミケロッティは英国でも名を馳せた。そこでイギリス・フォードはミケロッティにプロトタイプのデザインをいくつか頼むことに。これは、"ゼファー・ゾディアック"に代表される大型車市場を睨んで作られた1963年のプロトタイプである。
ビル・フリック・スペシャル。エンジン換装のスペシャリストだったビル・フリックは、このクルマを引っ提げて自身の名を冠した自動車メーカーを興そうとした。
メドー・フリスキーのためにミケロッティが描いたオリジナルデザイン。
ヴィニャーレとメドーのバッジ、そしてミケロッティのサインが見て取れる。
1972年にミケロッティが手がけたこのデザインは、ミニ・マイナーを大型化したクルマ(開発コード名はADO74)用の提案。ミケロッティはクレイモックアップも製作した。
1951年のトリノ・ショーに出展されたフェラーリ195インテル。ミケロッティがギヤのために手がけたデザインは10台ほどのフェラーリ195インテルに実際に使われた。
フェラーリ340メキシコのために描かれた最初のスケッチ。コーチビルドは1952年、アルフレッド・ヴィニャーレによって行われた。No.0228ATのシャーシを使ったこのクルマは、本来の目的であったカレラ・バナメリカーナを走ることはなかったが、ウィリアム・スピアの手によってアメリカで長いレース・ヒストリーを築き上げた。
マトラ・ラセル用に描かれたオリジナルデザイン。この原案にある前後フェンダーの曲線的なデザインは最終的なプロトタイプには生かされなかった。
マトラ・ラセル。ミケロッティがマトラ530のシャーシを使って作った。全高はたったの1080mmしかない。ミケロッティの手がけた多くレイと同じように、この車もガルウィングドアを備える。
モンテカルロに住んでいた酔狂な大富豪、ピエール・スカブラのためにミケロッティが手がけたロールス・ロイス・シルバーシャドー。これを見ると、ジョヴァンニ・ミケロッティが特別な顧客向けに純粋なスタイリストとしてワンオフを手がける仕事を、どれほど愛していたかがわかる。
フィアット-シアタV8208。ミケロッティがデザインし、ヴィニャーレがボディを特徴つける繊細なクローム処理や磨き上げアルミの使い方が見て取れるだろう。
1957年にヴィオッティがコーチビルドを手がけたフィアット600クーペ。他にもいくつかのコーチビルダーがミケロッティのデザインを使って同様のクーペを作った。
ミッドエンジンスポーツクーペを想定したスケールモデルとミケロッティ。ミケロッティは1964年にこれをトライアンフに提案したが、受け入れられなかった。
オースティンモーリス・ミニ・マイナーのスパイダー・バージョンを想定して手がけられた興味深いプロポーザル。プロトタイプは"Tバー・ルーフ”を備えている。
オースティンモーリス・ミニの大型化を検討すべく作られたエボウッド・モデルプロトタイプは1972年に作られた。コードネームは"ADO74"である。
これは1970年にオースティン-モーリス・グループのために検討された2ドア4座クーペのエボウッド・モックアップ。開発名はMG"SPO28"だった。MG用を想定していたのであろう。